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牛怪 [小説]

陰陽師 酔月ノ巻.JPG
今日7月7日は「七夕」ですね[わーい(嬉しい顔)]
今日は雲っていて星が見えませんが、今頃空の上では「織姫」と「彦星」が“一年ぶりの逢瀬”を楽しんでいることと思います[ムード]

夢枕獏さんの『陰陽師 酔月ノ巻』に、「牛怪」というお話があります[本]

看督長(かどのおさ、帝の警護長)の役職に就く橘貞則(たちばなさだのり)というお方が、或る夜幡音(はたね)という牛を連れた若い女性と水瓶を持った老女に出逢い、行き場所がないということで二人を屋敷に招き入れます。幡音は機を織るのが上手で、老女は身の回りの世話を一切仕切ってくれますが、夜な夜な何処かへ出掛けては、明け方になると帰ってくるという不思議な行動を繰り返します。
悩み事を芦屋道満に見破られた貞則は、老婆の持つ瓶に身を潜めて二人の行き先について行きますと、そこは唐土(もろこし)の西の果てにそびえる崑崙山(こんろんさん)の頂で、そこで天帝に何やら報告していました。そして都に戻った貞則と道満は、待ち合わせていた安倍晴明と源博雅らに合流してその経緯を聞きます。
幡音は織女星で、牽牛星が最近他の女性(赤珠)と恋仲になり、流星群に紛れて都に落ちた二人を探しに来ていたのでした。
晴明が「古今和歌集」の歌の中に隠れていた二人を見つけ出し、織姫と話し合いの末無事に天へ戻ったというハッピーエンド(だったのかな?!)で話は終わりますが、「天の人々も、ああやって他の人を好きになったり、嫉妬したりするのだな」としみじみ語る博雅に、「天の星も、寿命の長さの違いこそあれ、何時かは滅ぶものだ」と晴明が諭します。
そして、博雅が「滅ぶものだからこそ、人と同じように恋をするのだな?!」と見上げた空に、牽牛星と織女星が光っていました[夜]

七夕.JPG
2年前の「七夕」は久しぶりに晴れて、空に「織姫」と「彦星」が仲良く輝いていましたが、二人はどうやって“話し合い”を付けたのでしょうか?!
それと赤珠(せきしゅ)という女性は、それからどうなったのかも気になりますね(^^;;

注写真の)左上の星が「織姫(こと座・ベガ)」で、右下の星が「彦星(わし座・アルタイル)です。そして、天の川に大きく翼を広げる「はくちょう座のスピカ」を結ぶと、『夏の大三角形』となります[グッド(上向き矢印)]

アルキメデスは手を汚さない [小説]

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世界初の推理小説と言われている『モルグ街の殺人』を書いた、ミステリー小説(推理小説)の先駆者であるエドガー・アラン・ポーが1849年10月7日に亡くなったそうです。
古い文庫本の棚を探していたら、第19回江戸川乱歩賞(昭和48年度)を受賞した、小峰元氏の『アルキメデスは手を汚さない』がありました。昭和49年12月16日第2刷発行となっていますので、高校2年生の時に購入した文庫本です。
今から35年前に読んだ本ですので内容は良く覚えていませんが、妊娠していたらしい少女(高校生)が死んで、その後弁当を食べた少年が教室で倒れ、それが毒殺未遂だということで学園がミステリアスな事件に巻き込まれていくという内容だったと思います。登場人物達が同世代の高校生ということで共感を持ち、小気味良くコミカルなストーリー展開に、一気に読み進めたような記憶があります。
アルキメデスは“水中の物体は、その物体がおしのけた水の質量だけ軽くなる”という、「アルキメデスの法則」を発見した古代ギリシアの数学者・技術者です。ある日国王から、金の王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じられましたが、風呂に入った時水が湯船からあふれるのを見てヒントを発見し、湯船から飛び出して裸で街中を走っていったというエピソードが残っています。
アルキメデスが何故手を汚さなかったのかについては、もう一度読み直してみないと判りませんが、“本当に悪い奴ほど、直接手を下すことはない”ということではなかったかと思います。
小峰氏は、この後に受賞第1作として『ピタゴラス豆畑に死す』を書き下ろし出版していますが、こちらは未だ読んだ記憶がありません。

クリスマス・キャロル [小説]

X'mas Candle.JPG
今日は「クリスマス・イブ」ですね。残念ながら今夜は仕事(夜勤)のため、オジサン達(一人は若い兄ちゃんですが!)と過ごすことになります。
この間FMで、小説「クリスマス・キャロル」を現代風に置き換えたものが出版されている話を聞きました。書名は忘れてしまいましたが、あまり面白くもない小説「クリスマス・キャロル」が、今でも世界中で愛されている理由についても語っていました。
小説「クリスマス・キャロル」は、強欲な初老の商人である主人公の所に、クリスマス・イブの夜に、10年前に死んだかつての共同経営者の亡霊が訪れ、金銭欲や物欲に取り付かれた人間がいかに悲惨な運命となるかを諭すと共に、新しい人生へと生き方を変えるため、三人の精霊がこれから彼の前に出現することを伝えます。
最初に訪れたのは「過去のクリスマスの精霊」で、未だ純真で希望に満ちていた少年時代や、金銭欲と物欲の塊となる以前の素朴な心を持っていた青年時代に彼を引き戻します。
続いて「現代のクリスマスの精霊」に導かれ、貧しい中でも明るい家庭を築いて、ささやかな愛で結ばれた一家族の情景を目の当たりにします。そして、そこの末子があまり長く生きられないことを知ります。
最後に訪れた不気味な「未来のクリスマスの精霊」に導かれた主人公は、未来の世界で“評判の非常に悪い男が死んだ”という話を聞くと共に、「現代のクリスマスの精霊」と訪れた家族の末子が両親の希望も空しく世を去ったことを知ります。そして草むし荒れ果てた墓場で、見捨てられた墓石の表に記されていた自らの名前を読みます。
主人公は激しい衝撃に襲われますが、彼が経験した悪夢のような未来でも、まだ変えることが出来る可能性があることを知らされます。
イギリスの文豪ディケンズが書いたこの小説は、産業革命以降貧富の差が拡大した社会の中で、キリスト教的な人間愛・博愛を通じての“社会の改革”という思想を具象化したものだと言われています。イギリスにやってきたカール・マルクスが、貧しいイギリス生活の中から『資本論』の基礎となる思想を形成した時期と前後します。
今週発売の「週刊アスキー」に連載されている漫画『電脳なをさん Vol.627』では、このクリスマス・キャロルを基ネタにして、世界同時不況に伴い1万6千人以上の人員整理を行った、某家電メーカーの経営者を皮肉っています。



坊ちゃん [小説]

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今日は『漱石忌』です。1916(大正5)年12月9日、夏目漱石は49歳で永遠の眠りにつきました。
東京・神楽坂近くにある「漱石山房」が漱石終焉の地とされ、小さな公園になっていて“猫塚”なるものもあるそうです。
現在、漱石の有名な小説である「坊ちゃん」を読んでいます。前にもブログに書きましたが、ストーリーや登場人物はTVドラマ等で知っているものの、未だ小説を読んだことがありませんでした。
狸(校長)、赤シャツ(教頭)、山嵐(数学教師)、野だいこ(美術教師)、うらなり(英語教師)、マドンナ(元うらなりの許婚者で、赤シャツの愛人?)等々、昔見ていたNHKのTVドラマ「新・坊ちゃん」の俳優とオーバーラップしてきます。たしか、坊ちゃん役は柴俊夫さんで、マドンナが結城しのぶさん、山嵐が西田敏行さん、赤シャツが河原崎長一郎さん、野だいこが下條アトムさん、うらなりが園田裕久さん、狸が三國一朗さんだったと思います。
2005年1月5日(水)の午後9時からTBS系列で放送された“水曜プレミア 新春ドラマ特別企画「夏目家の食卓」”を観ました。2年程前に亡くなられた久世光彦さんの演出によるもので、漱石役を本木雅弘さん、妻の鏡子役を宮沢りえさんが演じていました。そう、サントリーのソフトドリンク「伊右衛門」のCFに登場する二人です。
夏目漱石の孫である、半藤末利子さんが執筆したエッセイ『夏目家の糠みそ』、そして悪妻として有名だった妻・鏡子さんがその視点から綴った『漱石の思い出』を題材に、夏目家とそこに集る滑稽で愛すべき人々が繰り広げる日常をドラマ化したものです。近代文学の風変わりな傑作『吾輩は猫である』が生まれた原点を感じさせる作品です。
漱石に一目惚れした鏡子が押しかけて始まった夫婦生活でしたが、鏡子は生来の料理下手に加えて朝寝坊ときては、大食いの漱石の食欲は満たされることがありません。一方鏡子は、漱石がかんしゃくをおこしても、病に倒れても、そのすべてを「漱石」として受けとめ、愛情をもって支え通します。その愛情に支えられて漱石はユーモア小説「吾輩は猫である」、痛快青春小説「坊ちゃん」、俳句小説「草枕」という作品を書き上げ、「日本人はこれでいいのか」と作品の随所で問いかけています。
知られざる文豪の、愛に支えられた半生を描く傑作ドラマでした。
このドラマに描かれた漱石像をみても、坊ちゃんは漱石そのものです。次は「吾輩は猫である」を読んでみようかと思います。

 

瀧夜叉姫 [小説]

瀧夜叉姫.JPG
久しぶりに長編を読み上げたような気がします。夢枕獏氏の陰陽師シリーズ「瀧夜叉姫」は、映画用にと構想を巡らしていた長編物語のようで、そのスケールの大きさに驚かされます。
冒頭では、若き安倍晴明が師と共に出くわす“百鬼夜行”のおどろおどろしいシーンで肝を冷やされます。そして、それが平安の都に続発する怪事件(妊婦殺し、何も盗らないで立ち去る賊の出現等)へと繋がり、調べを進める安倍晴明と源博雅は20年前に東国で新皇を称して乱を起こして敗れた平将門に関わる事件であると気付き、都を転覆させる様な事件にならないよう事態の収拾を図ります。
瀧夜叉姫は平将門の三女で、父親の復讐を図る“妖術使い”として歌舞伎演目にも登場する女性ですが、この物語では父を想う優しい女性として描かれています。また、俵藤太と呼ばれた藤原秀郷、小野道風、平貞盛等の歴史上の人物も登場するあたり、作者の知識の広さには脱帽させられます。
また、平将門との戦いで顔に傷を負った平貞盛が、その傷が元で出来た瘡(かさ)を直すため、妊婦を殺害して胎児を取り出し肝を喰らう“児干”の描写や、平将門が殺害された妻や子供の腐敗した死体を喰って鬼に変っていく描写等は、読んでいて背筋が寒くなってくるくらいリアリティーがあります。しかし、俵藤太の豪快ぶりと平将門との男の友情は印象深いものに描かれていて、読み終えてから爽快な気持ちが残ります。
映画は「陰陽師」「陰陽師Ⅱ」で終わっていますが、是非この物語を基にした「陰陽師Ⅲ」を観たいものです。

金閣寺 [小説]

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今日は、歌手の小柳ルミ子さんと南沙織さんの誕生日なんですね。同じ頃にデビューした天地真理さんと合わせて、1970年代前半に「新三人娘」と呼ばれた内の二人が、2歳の年齢差はあるものの同じ誕生日とは知りませんでした。
また今日は1950(昭和25)年に、金閣寺が同寺の僧侶の放火により全焼した日でもあります。
三島由紀夫氏の小説「金閣寺」は、ニュース・ストーリー的手法で6年後の1956(昭和31)に書かれたものです。評判の事件を小説や戯曲に取り上げる伝統は、日本ではジャーナリズムの発生と共に古く、近松や西鶴の名作からも伺うことが出来ます。
カバーにシミの出来た文庫本の増刷記録を見ますと、<昭和50年4月30日 38刷>と書かれていますので、高校三年か大学に入ってから購入したのでないかと思われます。内容は殆んど忘れてしまいましたが、パラパラと読み返してみますと、「吃り」というコンプレックスをもつ青年僧が、女性に対する憧れと失望や老師(寺)に対する反感等から、彼にとって“美の象徴的存在”であった金閣寺の金堂を焼失させることにより、全てのものから解放されようとしたストーリーだったと思います。
これって、秋葉原の事件に凄く似ているような気がしてなりません。社会の歪みや人格形成における歪みから生じてくる『ある種の狂気』から引き起こされるこういった事件は、いつの時代もその可能性を秘めているということなのでしょうか?
これを読んでいた時期は、私も色々な悩みや失望感を抱えていた頃ではないかと思います。この本を選んだ理由や何を読み取ったのかはすっかり忘れてしまいましたが、この機会にもう一度読み直してみるのも良いかも知れません。青春期の悩みは、誰にでもあるものです。

卒業の続き [小説]


今日の『ヒロキ寺子屋』の今週のキーワードで、“卒業の続き”というキーワードを、パーソナリティーの廣木弓子さんが「ブログを卒業した若槻千夏さんが新サイトで古着販売」というボケ回答を出して“喝!!”を受けていましたが、正解は‘1960年代の米国を代表する映画「卒業」の同名原作小説を執筆した米作家チャールズ・ウェッブ氏が、その続編「ホーム・スクール」を執筆し、1月8日に米出版大手セント・マーチンズ・プレス(ニューヨーク)から発売した’とのことでした。
結婚してニューヨーク郊外に住む「卒業」の主人公ベンとエレーンの家に、エレーンの母であるロビンソン夫人(ベンの不倫相手)も同居するというストーリーは早くも注目を集めていて、今後映画化の動きも出そうとのことです。サイモン&ガーファンクルが音楽を手掛けた1967年の映画「卒業」は興行収入1億2000万ドルを超える大ヒットとなり、米社会に大きな影響を与えると共に、ベン役のダスティン・ホフマンは一躍スターとなり、監督のマイク・ニコルズは“アカデミー監督賞”を受賞しています。
映画のハイライトは、結婚式が行われている教会の二階からベンが「エレーン!エレーン!」と何度も大声で叫び、エレーンが振り向いて「ベン!」と答えると、階下に下りて花嫁を奪い、二人でバスに飛び乗って逃げるシーンです。このシーンはパロディーとして、色々と使われています。毎年2月~3月の卒業シーズンになると、映画館やテレビで何度も上映(放映)されています。私が最初にこの映画を観たのは、中学生の時でした。
この映画のためにポール・サイモンが書き下ろした「ミセス・ロビンソン」は、最初ギターを弾きながら浮かんできたフレーズが“ミセス・ルーズベルト”だったそうです。たぶん、第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの夫人で、国連人権委員会の米国代表に任命されたエレノアのことを歌ったのだと思います。
「ホーム・スクール」の翻訳本が日本で出版されたら、是非読んでみたい一冊です。


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